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第一話
其の①男子生まれる【前編】
舞台は、道眞公の父、文章博士である、菅原是善が、大学から帰る場面からはじまります。
「やあ、この暑いのに毎日よく御勉強ですね」
と是善がいったときは、もう二人は、並んで歩いていました。年はどちらも、ちょうど同じくらいですが、音人はまだ役人にもなれず、近く論文を出して役人になろうと、この頃はその勉強に、毎日大学に通っているのでした。日は西にかたむいて、道路にうつる二人のかげは細長かったが、夏の夕日はやりきれません。
「六月も、今日は二十五日だから今に少しづつは涼しくなりましょうが、どうにもたまりませんね。」
是善はべつに話すこともないので、思いだしたようにこういいました。音人は、「そうですね。」とそれには軽く答えておいて、力をこめて語りだしました。
「どうでしょう。詩文や学問は、もうおとろえるのではないでしょうか。弘法大師がなくなって、もはや十年になります。それでも
二人は街角をまがりました。桓武天皇がこの平安京に移らせられてから、もはや五十年、二人の通る両側には、もう空き地などはめったにありません。美しくぬられたお寺の門が夕日にかがやいて是善の眼を射るようでした。是善は、こころもち顔を音人の方に向けて、
「そんなことはないと思いますよ。」と語りだしました。
「なるほど、弘法大師がなくなり、また嵯峨上皇のおなくなりになったのは確かにさびしい。白楽天が年をとったことも、何だか心ぼそい気持ちをおこさせる。
しかし、この頃漢文のつづれる人、漢詩を作る人の多くなったことを思えば、おとろえるどころか、これからこそ栄えるのだといえましょう。少なくはなりましたが、まだ偉い人もいますよ。それ、東宮学士の・・・・・・。」
「ああ、小野
「そうです。あの方は嵯峨上皇から、白楽天に同じだと、おほめの言葉をたまわったほどです。
これからさき、何人もあんな人が出るだろうと思います。いや、出なくてはなりません。あなたなども、これからです。しっかり勉強して偉い学者になってください。」
是善の話しぶりは、落ちついてもの静かであったが、しかし、力がこもっていました。聞きながら音人は、いつの間にか
それから間もなく、二人は別れました。一人になってからも是善は、さきほど音人にいった自分の言葉を、何度となく口の中で、つぶやいてみました。それは自分の言葉で、自分の心を励ましているのです。やがて家に帰りつきました。
いつも迎えてくれる妻の姿が見えません。是善は「はてな。」と思いながら、家にあがりました。
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