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第三話
其の②学者の家【前編】
父、是善は、我が子の誕生の喜びをかみしめ、息子ををしっかりと育てようと決意したのでした。生まれた男の子には、
父の是善も、阿呼の大きくなるのにまけてはならぬとばかり、学問にはげみ、お役目に精だしましたから、年とともに位はあがり、お役目も重くなっていきました。是善は、お役所から帰ると阿呼を呼びよせて、やさしい漢文をすこしづつ教えました。
お母さんはお母さんで、阿呼にいろいろな話をしてやりました。中でも、お母さんのよくしてくれたのは、阿呼の家のことでした。お母さんの話してくれた菅原の家のことというのを、とりまとめて申しますと、あらまし次のようなことでした。
この家が菅原といいだしたのは、そんなに古いことではありません。都はまだ奈良にありましたが、いまから数えると、まだ七十年ぐらいしかたちません。それまでは何といっていたかと申しますと、
昔、
このことからして宿禰の子孫は、代々朝廷にお仕えして、お葬式のことをつかさどったと申します。お葬式のことと申しますと、お墓にうめる埴輪や皿や高杯(たかつき・・・食物などを盛る台)などの土器をも、作らねばなりません。そこで
この宿禰から数えて十四代目の人を、
古人は生まれつき頭がよくて学問もできるし、今こそ従五位下遠江介であるが、これからどんどん出世も出来そうだ。それなのに、葬儀係だ、土器作りだ、と一目で知れる土師氏をとなえねばならぬ。これはあまりおもしろくない。出世のさまたげにもなりそうだ。こう考えたので、古人は土師氏をやめたいと願い出たのでした。
では、なぜ、菅原氏ととなえようというのでしょう
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