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第十話
その⑤文武を磨く【前篇】
平安京の中というのに、ここはまた何という静けさでしょう。庭の紅梅に、時折うぐいすが飛んで来るほかは、音一つしません。梅はまだ固いつぼみです。
叡山から吹きおろす風の寒かった昨日にひきかえ、今日は全くうららかな早春の日和。もうお昼近くになりますが、朝からの静けさからみれば、誰もいないのでしょうか。この静けさの中に、かすかな衣ずれの音が聞こえてきました。縁側のほうに、誰か出て来る様子です。
縁側にあらわれたのは、年の頃十八、九の青年でした。ふし目がちに歩いているから、よくはわかりませんが、切れ目の長い眼、高い鼻、いかにも上品で、よい家の生まれと思われます。
青年は眼を上げて、澄みきった空を眺めました。強い日の光がまぶしいのでしょう。二三度まばたきをしました。勉強に疲れたらしい眼には日の光が、ことさまぶしく感ぜられたのでしょう。
青年の目は庭の紅梅にうつりました。やさしい眼で、梅の木をなでまわすようです。唇にはかすかな笑みをたたえ、いかにも梅が好きでたまらぬ様子です。しばらく梅を眺めて後、青年は縁側を東にまわりました。東側の庭には、ひとむらの竹が、さびしく冬を越しています。青年はまたこの竹が好きでした。
朝日のさし入るときは、その影を障子におとし、風のある日は、サヤサヤと葉ずれの音が聞こえます。竹と梅とは、この青年にとっての、忘れられぬ友達です。
この青年は、ほかならぬ、文章生菅原道眞です。
道眞は、縁側に立ちつづけたまま、誰にいうともなく、小声で語りました。
「ありがたいことだ。こんなよい
道眞は、もう一度庭を見まわしてから、静かに後を向き、またもとの部屋へ入っていきました。さきほどの勉強をつづけるのでしょう。
このやしきを、世間では
そこを道眞の勉強の場所と定め、ここに住むようにと、父に命ぜられたのです
学問好きで、静かなたちの道眞は、ここがすっかり気に入りました。道眞の学問は日一日と深くなっていきます。
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