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第四十八話
その22 明石の驛 【前編】
だしぬけに、家の外から、一番鶏の鳴き声が聞こえて気ました。
「ああ、もう夜が明ける。」
覚寿尼はハッとして、そういいました。
菅公はここでまた、一首の歌を作りました。
鳴けばこそ 別れを急ぐ 鳥の音の
聞こえね里の あかつきもがな
(鶏が、夜明けを鳴いて知らせるから、別れを急いで心も落ちつかない。夜明けを告げる鶏の声の聞こえぬ里は、ないものであろうか。)
やがて夜は、しらじらとあけはなれました。
「では叔母上、くれぐれもお大切に。」
「あなたも、お体をお大事に」
別れ行く菅公の後姿に覚寿尼は幾度となく腰をかがめました。その老いの眼に、涙が一杯たたえられていたことは、申すまでもありません。
菅公は、何度となく振り返り振り返り、難波の船着場へと、重い足を引きずって行くのでした。
船は明石に着きました。
勅使の藤原眞輿らは、難波から都に引き返し、今は、
明石には
馬を置いていたところから「うまや」と呼ばれ、驛長は「うまやのおさ」といっていました。
山陽道から、都へ通ずる道路は、明石を通り、明石は、また、瀬戸内海での主な船着場でもありましたから、ここには驛が置かれてありました。
菅公は、
驛長は、また度々菅公の気高い人格に接して、早くから菅公を尊敬していました。
讃岐から都に帰られて後は、ずんずん官位が昇り、右大臣にまで進まれたとの噂も、人づてに驛長は聞いていました。
御上の御信任が誰よりも厚いということも、この明石の浦まで聞こえていました。
その菅公が、一体どういう罪を犯されたというのだろう。それも筑紫の果てまで流されるなんて、これはまた何ということだろう。
驛長は、いくら考えてみても腑に落ちませんでしたから、思い切って、事の次第を恐る恐る菅公にうかがいました。
菅公は、さびしく笑ったまま、何も答えずに、そこにあった筆をとりよせ、次の詩を書いて驛長に見せました。
驛長 驚くなかれ 時の変わり改るを。
(驛長を、何も驚くことはない。時勢が変わったのです。自然界にも、花の咲く春があると思えば、葉の落ちる秋もある。人の世も、この通りです。時が変われば栄えていた者も衰える。これが世の中の道理です。)
時を示されても、驛長は、まだ納得のゆかぬ面持ちでした。
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