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第三十九話
その⑰大和への旅【後篇】
道眞はここでも、また、一首の歌を詠みました。
水引の白糸はえて織る
旅の衣(ころも)にたちやかさねん
(瀧の落ちるさまは、ちょうど白糸を延(の)べて機を織っているようだ。旅の身のわれわれに、いま一枚の着物をかさねてくれようと、瀧が機を織っているのであろう。)
道眞の声が、瀧の音に消されたかと思うと、今度は上皇のお声です。
宮の瀧うべも名に負いて聞こえけり
落つる白泡の玉とひびけば
(この瀧は、まことに宮瀧の名がついているだけあって、落ちくる水玉は真珠のように美しく、玉を散りばめた宮殿を思わせる。なるほど、宮瀧とはよくも名づけたものである。)
険しい吉野の山路には、人も馬もつかれてしまいました。二十人ばかりの人々も、今は、前に三人、後に五人と散り散りになって、上皇の御側近くに従いますのは、道眞と素性法師といま一人という、わずかに三人のみとなってしまいました。
つるべおとしといわれるほど、日脚の早い秋の夕暮、それも吉野の山奥では、ひとしお早く夕闇がしのびよってまいります。
心細くなったのか、素性法師は、だしぬけに道眞にいいました。
「今夜のお泊りは
道眞はそれに対して即座にこう答えました。
定めざる前途何処にか宿らん、
白雲紅樹旅人の家。
(予定を立てての旅ではないのだから、御宿はどこときまってはいない。旅をする人には、白雲のなびくあたり、紅葉したの樹のもと、そこが泊る所でよいではないか。それがかえっておもしろい。)
あらまし、こんな意味のことを漢詩で答えたのです。漢詩が出たら、同じく漢詩でそれにつづけねばなりません。といっても、和歌ならよいが、詩ときては素性法師も、道眞の後につづけられません。上皇もとっさにはよい文句をおもいつかれません。
上皇は
「長谷雄、長谷雄は何処にいる。」
と声高くお呼びになりましたが、ただ吉野の山にひびくこだまばかりで、長谷雄の御返事はありませんでした。
つづく
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