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第九話
その④月の桂(かつら)【後篇】
道眞の元服した年には、もはや文徳天皇はおかくれ遊ばされて、清和天皇の御代となっていました。清和天皇は、その前の年、御年九つで、ご即位遊ばされたのですから、道眞の元服した年は、ちょうど十歳をお迎えになったところです。
この清和天皇の御母は、藤原良房の御女です。この前の文徳天皇の御代から、藤原氏は羽振りがよかったのに、清和天皇の御母が、また藤原氏の出であらせられるろいうので、藤原氏はますます威勢がよい。それに天皇は、まだ十歳であらせられるというわけですから、藤原氏はそれを笠にきて、だんだんわがままをはじめてきました。
道眞の父是善は、学者ですし、文章が上手でしたから、よく人にたのまれて文章を作りました。ちょうどその頃、
是善は、これを自分の代わりに道眞に作らせることにしました。是善は、道眞はもはや大人になったのだから、と考えたからです。福主は、それをもらっても、道眞の書いたものとは、思いませんでしたが、後で聞いてびっくりしました。そのことを伝え聞いた人達も、道眞の学問のすぐれているのに、感心してしまいました。
文章博士である父に代わって文章が作れるくらいですから、十五歳といっても、もう大した学者です。しかし本当に一人前の学者となり役人になるためには、どうしても、大学を卒業せねばなりません。
そこで道眞は、まず、大学に入学するための準備をしました。父のところに来て学ぶ人たちの中に加わって、講義をきいたり、父に詩や文章を直してもらったり、また、
十八歳の時、試験を受けましが、もちろん道眞は、楽々と合格しました。
今の大学は、法科や文科や工科などがあるように、昔の大学にもいろいろな学科がありました。たとえば、
文章道というのは、詩文・歴史を勉強する学科ですから、今でいえば文科ということにもなります。菅原家の人々が代々任ぜられた文章博士というのは、この文章道の博士ということです。道眞も、お祖父さんやお父さんと同じように、詩文・歴史をやることにしました
文章道の学生を文章生といいました。ですから、もはや道眞は、文章生菅原道眞というわけです。
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