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第十三話
その⑥官途につく【中篇】
「応天門の放火は、源信ではなくて、大納言伴善男(だいなごんとものよしお)だとさ。」
「それはまた、どうしてわかったのだろう。」
「あの時、善男の手先につかわれた者の口からもれたのだそうだ。」
「なに、子供のけんかに親が出て、親と親とのけんかになったとき、腹立ちまぎれに相手の秘密をしゃべったものだ。」
応天門の放火が伴善男だとわかると、またしても、一しきり騒ぎました。伴善男とその一味は、とうとう島流しになってしまいました。都の人々は、仕事も手につかず、応天門の火事のことばかりしゃべっています。
その間に、『
「さすがは文章博士菅原氏だ。」
とよろこび、早速手紙を書いて、文章のよいことをほめちぎり、あつくお礼をいってよこしました。父の眼鏡に狂いはなかったわけです。
あくれば貞観九年、道眞は大学を卒業しました。道眞の学んでいたのは、文章道でした。それを卒業したというのですから、文章得業生(とくぎょうしょう)といわれました。こうなると、もう官吏(かんり・・・役人)になれるのです。道眞は、正六位
しかし、文章得業生になったくらいで、満足する道眞ではありませんでした。もう一段上の試験がありますから、それを受ける決心をしました。もう一段上の試験というのは、今でいえば、高等文官試験にあたるでしょう。この試験は策問、すなわち問題が二つ出され、それに答えるので、
これに及第(きゅうだい・・・・・試験に合格すること)すれば対策(・・・・・この場合は、問題に対(こた)える意。律令制下の官吏登用試験。出題に漢文で答える試験、またその答案。)に及第といわれ、及第した人を秀才と申しました。
秀才には博学高才の者をとるといい、非常にむづかしいものとされ、それだけに合格することは、青年達の最大の望でありました。道眞は、この秀才を目指して勉強をつづけました。
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