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第三十一話
その⑭遣唐使を
停む
【前篇】
宇多天皇のご信任は日一日と厚くなり、月のかわるごとに進むかと思われるほどに、道眞の昇進は目覚しいものです。
こんな具合で、とうとう
遣唐大使といえば、まことに名誉なお役目です。奈良時代のこのかた、我が国では唐の文化が尊ばれ、唐に行って来た人でなければ、学者も政治かも僧侶も、全く幅がききません。
その唐に、四つの船を仕立てて、大勢の部下を引き連れ、日本の代表として乗り組むことは、その頃の人々にとっての最も華々しい役目でした。
それに、国家の代表者であるから、相当高い官位の人でならなければならず、唐の人々と応対するからには、漢詩・漢文を始めとして、唐の文化に通じていなければなりません。
してみれば、遣唐大使に任ぜられるということは、いかにも名誉だったことがわかります。道眞はその遣唐大使に任ぜられたのです。
道眞の家について考えてみれば、祖父の清公は、遣唐使の一行に加わりはしましたが、しかし清公は、大使どころか福使でもなく、ただの判官にすぎませんでした。それでも、清公は唐に渡っただけよかったのです。
父の是善はついに一度も唐の土地を踏みさえしませんでした。菅原の家で唐に渡るのは、道眞が二人目、それも判官などではなくて、遣唐大使としての支那行きです。
道眞個人としてはもちろん、菅原家にとっても、この度、遣唐大使に任ぜられたことは、非常なほまれです。
道眞は、天にも昇らんばかりに、よろこび勇んで唐に渡ったに違いない。ーーーと、誰しも思いましょうが、実は道眞はその反対に遣唐使をおやめになってはいかがでしょうと、朝廷に申し出たのです。
自ら大使となって、憧れの唐へ行けるという、またとないこの幸運を、自分自身から進んでとり逃がそうとするのは一体なぜでしょう。
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