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第二十四話
その⑪阿衡の儀【中篇】
そこへ
その時、
文章博士になる時にも、基経が大いに
「藤原氏の人に博士になられては、われわれはおされてしまう。」
といって、これに反対しましたが、基経があちこち頼んだり、おどしたりして、やっと博士になれました。それも、成績はよくありませんでした。
「藤原氏の後押しなら、何でも思いのままさ。」
と情けながったと申します。こんな次第ですから、佐世は、基経におべっかを言うことばかり考えていました。
佐世が基経のやしきに来て、「阿衡」のことを告げたのも、やはりおべっかだったのです。基経にしても前々から、
「橘
と気がかりでした。もしそうなれば、藤原氏に代わって、橘氏が勢力を得るわけで、藤原氏にとっては橘氏は大敵だ、なるべく早く、橘氏の発展の芽を摘んでおきたい、かねがね狙っていました。
佐世は、基経のこうした気持ちをよく知っていましたから、さてこそ、こんな変な理屈を述べ立てたのです。基経は、
「よし、それなら、今後自分は、朝廷の御政治を一切見ない。」
と大変な権幕です。
臣下の中で、官位の最も高い基経、その上、藤原氏の総大将として、この氏の人々を率いる基経が、一切の政治を見ないということになれば、朝廷の御政治は全くはかどらぬことになり、従って、天皇にご心配をおかけ申すことになります。
天皇のお下しになった勅書について、あれこれと申し、果ては天皇にご心配をおかけするなどということは、たいへんな不忠です。
基経も、このくらいのことを知らないわけでなかったかも知れませんが、そんなことは一切おかまいなしで、ただ
基経のことをきこしめされて、天皇は深くご心配遊ばされ、いろいろ手をおつくしなさいました。
そのうちに年が暮れて、仁和4年になりました。
そのうちに年が暮れて、仁和4年になりました。天皇は、基経を
そこで、いろいろの訴えごとや、そのほか、急いできめねばならぬ事柄も。そのままになってしまって、一向はかどりません。
これをご覧になっていたく御心を痛め給うた天皇は、左大臣
天皇は、もちろん、基経を政治にあづからせまいなどとは少しも思し召されておられなかったのですが、学者達に聞いて、もし
しばらくして、学者達からは、次のような御答が奏上されました。
「阿衡と申しますのは、
ほんとうは、そんなことはないのですが、学者達は、
学者というものは、自分の正しいと思うことならば、何事をも恐れず、堂々と議論せねばならないのに、情けないことに、ほんとうのことをいっては、基経から悪く思われると考えて、皆心にもないことを申し上げたのです。
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