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第八話
其の④月の桂(かつら)【前編】
阿呼の学問はメキメキ進みました。
十四歳で、
『臘月獨興(ろうげつ・・・12月ひとりきょうず)』
という題の詩を作りましたが、世の中の人々は、「とても、子供とは思えない。」と聞くほどの者は、皆舌をまいて驚きました。
その年があけると、貞観元年(859年)で、阿呼は十五歳。男の子は十五歳になると、もう一人前の男子だとその頃の人々は考えていました。十五歳で大人になるわけです。その儀式を
一人前の男子になるというのですから、おめでたいことに違いありませんが、わけても阿呼の両親は、この日を迎えたことをよろこびました。と申しますのは、阿呼の兄達は、二人とも幼い頃なくなってしまい、この子こそはと、心をこめて育てたかいがあって、今、十五歳の春を迎えたのです。
両親は、「やれ、よかった。」とよろこびあいました。そうでなくても、阿呼は、菅原の家をつぐ大切な男の子、家ということから考えても、阿呼の元服はおめでたいことでした。その上、阿呼は人並すぐれて賢く、学問がよくできるというのですから、両親のよろこびが人一倍であるのも、もっともと思われます。
いよいよ、元服の式をあげる日がまいりました。儀式は、おごそかに行われました。そこでみている母の眼には涙が光っています。今日までの十五年の間のいろいろなことが思い出されるのでしょう。よくも。こんなに大きくなってくれたと思えば、うれしくて、ひとりでに涙がにじんでくるのです。しかし母は、昔のことを考えてばかりはいませんでした。
「さあ、これからだ。阿呼も今日から大人になったのだ。しっかり勉強してくれるよう、そしてお祖父さんにも、お父さんにも、負けぬほどの、大学者になってほしい。菅原の家の名誉を一層高めてもらいたい。いいえ、阿呼のことだから、きっと家の名をあげてくれるに違いない。」
こう考えていると、母はじっとしておられませんでした。母は、この心を歌であらわしました。その歌は次のとおりです。
ひざかたの
月の桂(かつら)も折るばかり
家の風をも吹かせてしがな
(立身出世することを月の桂をおるというが、お前もどうか月の桂も折るばかりに、立派な人になり、出世して菅原の家の名をあげてほしい。)
阿呼は、この日から、道眞という名前にかわりました。
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