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第十二話
その⑥官途(かんと)につく【前篇】
「火事だ、火事だ。」
「内裏の方がやけている。」
大声でさけびながら、バタバタと駆けていく人の足音はだんだんひどくなる一方です。
道眞は庭におりました。
なるほど、北の空が真赤です。銀の砂をまいたような星空に、時々大きな炎が舞い上がります。
また、人の声が塀の外から聞こえます。
「応天門が火元だ。もうおおかた焼けてしまった。」
「応天門の左右につづく
「大極殿はとりとめたいものだ。」
とぎれとぎれに聞こえる話し声で、応天門の火事だと知れました。
「応天門といえば、大極殿の真ん中の大きな御門。惜しいことだ。それにしても、御門が焼けるとは一体どうしたことだろう。」
道眞は首を傾けて考えました。が、考えることをやめて、家の中に入りました。筆をとって、さきほどからの書きかけをつづけました。書きものは、『
『顕揚大戒論』というのは、安慧の書いたものです。安慧は天台座主といって、
その安慧の書いたものに序文がほしいというので、その頃の第一流の学者と評判の高い、是善に頼んできたのでした。是善は、それを、自分に代わって道眞に書かせようというのです。
父に代わって、天台座主の書いた書物に序文を書く。それも、まだ学生の道眞が書くのです。うまく書かねば父の名折れだというので、都の人々の、「火事だ、火事だ。」と騒ぐのにも眼をくれず、また机に向かったのです。
貞観八年(886)、うるう年三月十日のことです。
道眞が思ったとおり、応天門の火事は、並々のことではありませんでした。誰かが火をつけたということです。
「一体誰だろう。大それた者もあるものだ。」
人々はよるとさわると、この話でもちきりでした。
「左大臣
町のうわさは、またひとしきりやかましくなりました。しかし道眞は、つづけて『顕揚大戒論』の序文のことばかり考えていました。
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