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第四十一話
その⑱右大臣に昇る【後編】
時平が左大臣、菅公が右大臣と、二人は並んで大臣になったのですが、その時、菅公は55歳、時平は29歳、まるで親と子ほど歳が違いました。
年だけからいっても、時平は菅公の相手にもなりません。それに、菅公は、この上もなく真面目で、学問は深い。
時平は少しは気がきくが、落ち着きがない。その上、学問などは、ほとんどわからぬといってよいくらいですから、誰が見ても時平には、まだ菅公ほどの重みがありません。
こんな風ですから、世の中の人たちも。時平よりは菅公を尊敬しますし、宇多上皇の御信用の菅公にお厚いのも、当たり前です。
しかし時平は、それがくやしくてたまりません。
それに生まれた家のことを考えると、菅公が自分のすぐ下で大臣をしているというのでさえ、時平は気に入りません。
「たかが文章博士の子のくせに、自分と並んで大臣なんて、大体生意気だ。自分の父は関白太政大臣だった。
お祖父さんは摂政だった。また、昔からお幾人も皇后様をお出し申している。
その藤原家の長男に生まれた自分と方を並べるというのは、何と身の程知らぬ道眞だろう。」
時平はこう思っていました。
数えてみれば、菅公をねたむ者が少なくありません。しかも菅公には、味方となって力づけてくれる者はありません。
賢い菅公は、きっとこうなることだと知っていましたから、早くも右大臣に任ぜられようという時、それをご辞退しました。
「私の家は代々学問をいたすというだけで、別に貴い家柄ではございませんが、宇多上皇の御恩によりまして公卿にしていただき、それから、今日まで昇進させていただきました。
そして今はまた、右大臣になるようにとの思し召しでございます。
これはまことに有り難くは存じますが、よくよく考えてみますと、ほかの人たちにわるいと存じますから、おことわり申し上げます。」ーーー
あらまし、このようなことを書いて、御辞退申し上げましたが、すぐ翌日勅使が、この
菅公は、しばらく考えてみましたが、やはり御辞退申し上げたいと、二回目の上表文を奉りました。その中には、
「今、大納言や中納言といって、私の下に並んでいる者の中には、家柄・血統のよい家の人が多く、しかも、こんな人達は、私がまだ書物を抱えて勉強していた頃から、高い位についておられました。
そんなことを考えますと、私が大臣にしていただくことは、火の中にすわって、焼けるのを待つようなものだと存じます。」
という言葉も見えました。
しかし、これもまたお聞き届けにならず、その日すぐ勅使を使わされて、どうしても右大臣になるとうにとの仰せでした。
菅公はまた、御辞退申し上げました。
その上表文では、
「宇多上皇の御恩顧をこうむりましてより、まだ10年しかたたないのに、私は高い官に昇り、棒給もたくさんいただくようになりました。
これは、私の身分に過ぎると存じます。
きっと世間の人も、よくは思わぬに違いございません。
人間のあまりにも満ちたり過ぎることは、神もおよろこびにならぬと申しますから、どうか私の辞退をお聞き届け下さいますよう。」
と申し述べました。
菅公は、とうとう三度にわたって御辞退申し上げました。
高い官職に任ぜられた時、実際に辞退する気はなくても、三度上表文をしたためて辞退申し上げる風があったということを、さきに記しましたが、菅公の御辞退は、決してさような形ばかりのものではありませんでした。
菅公の申し上げる言葉は、いかにもその頃の世の中の世情をよく語っており、どうかしておことわり申し上げたいという気持ちであふれていました。
しかし、何としてもお許しがありません。
菅公は、心の中で苦しみました。
どうしても御許しがないとなれば致し方はないが、いよいよ右大臣をやめないときまれば、きっと
自分を悪く思う人達に取り巻かれながら、右大臣のつとめを果たそうとしたところで、到底それは出来ることではない。
ちょうど、羽をなくした虫が飛ぼうというのと同じことだ。ーーー
いや羽はなくても飛ぼう。
周囲の人が変に思うなどというのは、自分のことばかり考えている身勝手というものだ。
思うてもみよ、自分の身の安全ばかりを考えていて済むと思うか。10年このかた、宇多上皇から賜った広大な御恩、今また右大臣にとのありがたい思し召し、それを思えば、たとえ火の中にでも飛び込まねば済まぬではないか。ーーー
ここまで考えると、もう菅公の進む道は、はっきりしてきました。もはや、菅公は迷いませんでした。
右大臣はやめないと決心しましたが、上表文にも書いたように、俸給をいただき過ぎるというので、半分にしていただくようにと、お願い申してみました。
しかも、これもお許しがありませんでした。
菅公は、深く御信任下さる天皇の御心に感激し、後でどんなことが起ころうと、そんなことは全く気にもとめず、ただ天皇の御為、日本の国のため、この身を捧げようと、決心したのでした。
そしてそれは、人の上に立って威張ろうとか、たくさんの棒給をいただいて贅沢をしようとか、そんないやしい気持ちからでは、決してありませんでした。
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