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第四十三話
その⑲御衣を賜わる【後編】
それからちょうど一ヶ月の後、菅公は突然右大将を御辞退いたしたいと申し上げました。右大臣の高きにおりながら、右大将の官を兼ね、その上度重なる光栄を得ては、これは身の程に過ぎる、人からねたまれもしようと考えたからです。
この時も御聞き届けがありませんでしたが、しかし、菅公のそう考えたのは、決して思い過ぎでなく、世間でも、いろいろ陰口をきいている様子でありました。
それは、
清行からの手紙には、あらまし次のようにして記してありました。
「公は学者の地位から進み、大臣にまで昇られました。これは朝廷のなみなみならぬ御恩によることでありますが、学者としての名誉でもございます。
大体こんなことは珍しいことで、昔からの例を見ても、
ことに来年はちょうど
菅公は、清行のいうくらいのことを知らぬ人ではありませんでした。しかし、菅公はしっかりした学者でありました。
支那でいわれることなら、何事でもそのまま信じ、書物に書いてあれば、それを皆鵜呑みにするというような、そんなつまらぬ学者ではありませんでした。清行のいうようないい加減な理屈から、天皇の深い御信任をもかえりみず、軽々しくやめてしまうような人ではなかったのです。
しかし菅公は、この手紙で、世間には、自分をやめさせたいと思っている者のあることを、はっきりと知りました。
清行が、この頃、時平の家に出入りして、そのお
身の安全のためからいえば、このへんでやめるのがよいかも知れない。しかし、あれほどの御信用下さる法皇や天皇の御心を拝察申し上げれば、自分一個の安全のために退くなどということは、絶対に出来ない。そうだ、大君の御為(おため)だ、たおれるまでやり抜こう。ーーー
菅公はかように決心して、昌泰三年の冬を過ごし、四年(延喜元年)の春を迎えるのでした。
つづく
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