ホーム > 天神様菅原道真公のお話 > その⑪阿衡の儀【後篇】
第二十五話
その⑪阿衡の儀【後篇】
橘
そのうち五月になりました。問題が起こってから、もはや半年以上たちましたが、まだおさまりません。基経は、とうとう、次のような意味の奏上文を奉りました。
「阿衡と申しますのは、高い官ではありますが、何もつかさどるところのない官だということは、学者達の御答で明らかでございます。私は、何も仕事のない官にいることは出来ません。すべての政治を天皇にお返し申し上げますから、どうか、天皇御みずから一切の御政治をご覧ねがいとう存じます。私はすべての官職を御辞退いたしまして、引きこもらせていただきます。」
何とけしからぬ申し分ではありませんか。そればかりか、
「もう自分は、朝廷にお仕えしないのだから、馬など飼っておく必要はない。」
といって、馬の手綱を切って、うまやから放しました。馬は平安京のあの町この町を駆けまわり、道行く人々を騒がせました。
基経のこのような道にはずれた振る舞いに、人々は、ただあきれかえるばかりでした。基経がこんな風ですから、藤原氏の人々をはじめとして、基経についている連中も、一向政治につとめません。
それでついに、さきの詔勅は御取りやめということになりました。
「
と申して、一度お出しになった詔勅は、決して取りやめになることがないのみか、お変えにもならぬものとされています。
天皇の御心のうちは、拝察申し上げるさへ、畏き極みであります。
心ある国民は、尊い天皇の御言葉が、臣下の者の横車によって、恐れ多くも御取りやめとなりましたのを見て、もったいなさに涙を流して、くやしがりました。
とうとう詔勅の御取りやめが仰せ出され、それと共に、この詔勅の文章を作った
ちょうどその頃、道眞は都に上っていました。
誰に味方するというのでもないが、変なことになってしまい、その果ては、天皇にまでご心配をおかけ申していると知っては、このまま黙っておられぬ気持ちがしました。
そこで早速基経に宛てて、自分の考えを遠慮なしに述べることにしました。ーーー
「
道眞は大体このように申しました。さすがの基経も、道眞のいうことはもっともだと思い、廣相(ひろみ)を免職にすることはやめて、ほかの官職にかわらせる程度でゆるすことにしました。
道眞が、基経を少しも恐れずに、自分の信ずるところを申し出たことは、宇多天皇の御耳にも入りました。天皇はこれをお知り遊ばされていたく御感あらせられ、これは頼むに足る人物だとお考えになりました。
天皇はこの度のことで、藤原氏のわがままなことを、その一方皇室の御威光の行きわたらないことを、つくづくお感じになりました。そして、このままでは日本国のためよくない。どうしても、朝廷の御威光を盛んにし、藤原氏を抑えなければならぬ。そのためには、道眞のような立派な人物を用いる必要があると、深く御決心遊ばされたのであります。
23日につづく
ホーム > その⑪阿衡の儀【後篇】