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第三十二話
その⑭遣唐使を
停む
【中篇】
誰か、邪魔をする者があらわれたのでしょうか。或いは、船に乗るのが怖かったのでしょうか。いや、そのどちらでもありませんでした。
道眞は、日本の国のために、遣唐使をやめた方がよいと考えたのです。日本のためを考えて、やめた方がよいと信ずれば、自分が行けなくなるとか、家のほまれをあげられぬといか、そんなことは一切かまわずに、遣唐使は、おやめになるのがよろしいと存じます、と申し出る道眞でした。
道眞が、遣唐使に任ぜられる少し前のこと、道眞のもとに一通の手紙が届きました。それは、我が国から唐にいっている、中かんという僧侶からの手紙でしたが、それには、
「唐の国は、この頃全く乱れて、もはや唐は滅びてしまうのではないか、と思われるほどでございます。唐がこのようになってみれば、わざわざ日本から、唐に渡って来る必要はないと存じます。」
とあらましこのように記してありました。
道眞はこの手紙を見て、ひとりでいろいろ考えました。
先ず、思い出されるのは、これまでに行った遣唐使のことでした。中にも、祖父の清公が行った時のことは、お祖父さんの行った時のことが、先ず思われるのでした。
「清公らが唐へ渡ったのは、桓武天皇の延暦二十三年(804)であるが、これは、実は初めの計画が、一年延びてのことだった。それというのも、初めの時は、出発はしたが、暴風雨にあって多くの人が溺れるし、船はいたんでしまったから、仕方なく引き返し、それから一年かかって船の修繕をすませ、やっと出発できたのが、延暦二十三年というわけである。しかしこの時もまたひどい嵐にあった。そして四そうの中の第三船・第四船の二そうは、波に流されて、どこに行ったやらわからなくなり、第一船・第二船だけが、やっとの思いで唐についた。それも、大使藤原葛野麻呂(かどのまろ)の乗っている第一船と清公らの第二船とは、わかれわかれになって着いたほどだった。」ーーー
道眞は、ついこの前の遣唐船のことをも思い出しました。
「いや、この間のも、ひどい目に遭ったということだ。四艘は博多を出ると、間もなく
中かんからの手紙を見て、道眞は、遣唐使のこのような歴史をもふり返ってみましたが、といって、遣唐使をやめた方がよいかどうか、そんなことまでは、考えていませんでした。
ところが、道眞に、突然、遣唐大使の勅命が下りました。道眞は、そこで改めて、遣唐使の問題を考えてみました。
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