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第四十四話
その⑳
禍
きたる【前編】
時平はかねがね天下を自分一人で、思うままに切りまわしたいと思っていました。
さすがはわがままで、皇室をもないがしろにし奉った基経の子です。たとえ左大臣の自分より下であっても、菅公がいては、どうも自分の思うままにならぬ、早く何とかなってくれればよいがと、そんな勝手なことばかり考えていました。
ところが、人の噂では、一度は菅公に、関白になるようにとの勅命があったとのこと、それを聞いて時平は気が気ではありません。
そこで、清行に理屈を並べさせてみましたが、菅公は平気です。
「もし、関白にでもなられたら、もうおしまいだ。今のうちに何とかしなければ。」
と時平は首をひねるのでした。
菅みなもとのひかる公がいなければよいと思うものは、時平のほかに、まだ幾人もいました。
まず、
「菅公がいなかったら、右大臣になれようものを。」
と思えば、光は、菅公がいまいましくてなりませんでした。
題意納言藤原
「菅公がいなかったら。」
と思っています。そして右大臣を兼ねたいと思っていたのに、菅公がそれを兼ねたので、一層心中おだやかではありませんでした。
また藤原菅根(すがね)という者もいました。もともと菅公の世話で役人にもしてもらったくせに、その頃は忘れて、今は全く、時平にくっついています。
「類を以って集まる。」
ということわざがあるように、これらの人々は、いつしか時平を中心に集まり、菅公蹴落としの相談をするようになっていました。
こうしている間に昌泰三年(900)も暮れ、四年(延喜元年)の正月になると、さすがに悪知恵の多い連中ですからうまいことを考え出しました。
それは、こういうことでした。
「醍醐天皇の御弟宮
根も葉もない真赤な嘘なのですが、こういいふらして、菅公を免職にしていただこうというのです。
早速、このことを天皇に申し上げましたが、天皇は一向にそれをお信じになりません。時平達は、これではいけないというので、手を変え品を変えて何度も何度も申し上げました。
菅公は、もちろん、そんなことをいわれているとはつゆ知りませんでした。
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