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第三十六話
その⑯天皇の師伝【前篇】
驚いたことに贈り主は、恐れ多くも宇多天皇であらせられたのです。天皇は道眞を師と仰がれ、ほかの弟子達と同じ御心で、菅公にお祝いをなされたのでした。
道眞は、この時、もはや参議になっており、そのほか沢山の官職を兼ねていたことはさきほど記した通りです。
参議といえば、公卿の一人です。位でいえば三位から上の人が公卿と呼ばれたのですから、公卿は官位の高い人たちです。従って、公卿の数はいつでも、そんなに沢山はありません。その頃公卿の数は、すべてで十五、六人でしたから、道眞が、いかに出世していたかがわかります。
道眞が、参議になったのは、寛平五年(893)の春でした。公卿になるというのは、大抵藤原氏に生まれた者か、皇族の御子孫である源氏の人かで、ただの学者が公卿になるなどということは、稀なことでしたから、道眞が参議になったのを、人々は珍しいことだと眼をみはりました。
ところが、道眞は、寛平七年には
だが、世の中は変なもので、これを見て
藤原氏の本家は時平です。時平はさすがに基経の長男で、藤原氏全体を統率するという人ですから、年は道眞より二十六も下でありましたが、家柄の光に照らされて、官位だけはいつも道眞に負けませんでした。
道眞が参議になると時平は中納言、道眞が中納言の時は、権大納言、権大納言になれば、時平は大納言というようでした。
しかし年齢から見ても、学問や人柄から見ても、偉さでは、どうしても時平は道眞に及びません。時平だって、それがわからぬことはありませんから、道眞の上にすわるのは、何だか気がひけるようです。
では、時平は道眞にへりくだるかといえば、中々どうして、そんな人間ではありません。
「学者の家に生まれた成り上がり者の道眞が、何だ。」
といつも強がっています。強がってはいますが、どうも何かと道眞に押され気味です。時平は心の中で、
「道眞という男は、邪魔になるやつだ。」
と、思っていました。
表向きの官位では、時平が道眞にすぐれていましたが、天皇の御信用の点からいえば、道眞の方がはるかに上でした。いや、時平のみでなく、誰にも勝るご信任を得ていたのが、道眞でした。
寛平五年、
明けて寛平六年といえば、道眞が遣唐大使を仰せつかった年ですし、道眞の知命の賀の行なわれた年です。そして、その知命の賀の行なわれた日、宇多天皇よりお祝いの文と砂金一包とをいただいたことは前に記しましたが、一天万乗(いってんばんじょう・・・全世界を治める位。また、その人。)の大君より師と仰がれ、お祝いを賜るとは、何という光栄なことでしょう。感激のあまり、その夜、道眞は長く寝つかれなかったほどです。
あくる寛平七年、宇多天皇は、御位を皇太子にお譲りになろうと、お考えになりました。そしてまた道眞にそのことをご相談なさいました。
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