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第三十三話
その⑭遣唐使を
停む
【後篇】
「思えば遣唐使は、日本と唐とをつなぐ橋みたいなものだ。唐の文化は、この橋を渡って日本に入れられた。その結果、日本の文化は進んで、他国に負けぬくらいになった。しかし、遣唐使のために、どれだけの人の命をなくしたことだろう。また、どれだけの費用を使ったことだろう。でも、日本の成長のためには、そのくらいのことは我慢せねばならなかった。何とかして行きさえすれば、そこには日本を太らせてくれる栄養分が待っていた。だからどんなにしてでも行ったのだ。・・・・・が、しかし・・・・・。」
と道眞はなお深く考えました。
「今の唐の有様はどうだろう。すべてに弱りきっているというではないか。日本は、全くその反対だ。学問でも、仏教でも、唐に少しも負けぬどころか、むしろ唐よりは進んでいるくらいだ。こうなっている今でも、命がけで、唐に渡らねばならぬだろうか。」
道眞は、こう考えて、腕を組みました。
「いや、まだ考えねばならぬことがある。日本はもうこの辺で、『唐では』『唐では』という、唐に頼る考えを捨てねばならぬのではあるまいか。もはや、日本は大きくなった。この辺で、一人立ちしてみたらどうだろう。人に頼らず、自分で歩くほうが、かえって足を丈夫にする。唐からもらうことばかり考えていずに、自分自身でやってみる方が、日本のためになる。ーーーそうだ、この考えを天皇に申し上げてみよう。」
道眞は筆をとって、この意見を書きつけました。そして、それを天皇の
「遣唐使をおやめになてはいかがでございましょう。」
との道眞の意見をどう思うかと、天皇が主だった人にお尋ね遊ばされたのは、それから間もなくでした。人々は皆、
「道眞の申し上げるとおりでございます。」
とお答え申しました。そこで、天皇も道眞の意見をお用いになることとなり、長い間続けられた遣唐使も、今後は出さぬことに決まりました。道眞の意見の誤りでなかったことは、後になってわかりました。
唐は、それから間もなく滅びて、支那の文化は、その後しばらくは見るかげもなく衰えましたから、遣唐使を出しても役に立たぬことでした。あの時やめて、ちょうどよかったのです。また日本の文化がその後どんな風に発展したかを考えてみても、やめたのが良かったと思われます。
外から入ってくる文化に気をとられて、それを覚えよう覚えようと焦っているばかりでは、折角入れたのも、十分血となり肉となるひまがありません。まして、自分自身のものを育て上げることなどは考えも及びません。これまでの日本は、そうした有様でしたが、遣唐使をやめてからは、少し心の落ち着きが出来ましたし、胃に入れられたものが、消化し始めたといったようなわけでした。
それから間もなく、漢文学に代わって、国文学が盛んになり、ついには、紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』というような立派なものがあらわれたり、和歌が今までの漢詩を
道眞は、自分一個の名誉や利益よりも、日本の将来のことを大切に考えて、遣唐使を停められるようにと申し出たのでした。
そして、道眞の見通しに狂いはありませんでした。
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