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第三十八話
その⑰大和への旅【前篇】
ここ
この美しい大和路の秋を、心ゆくばかり楽しもうというのでしょう。馬に乗ってはいますが、急ぐともなく進み行く 二十人ばかりの人々がありました。きっと身分の高い都の人々に違いないことは、上品な顔立ちや立派な服装から、すぐそれとわかりますが、一体どなた方なのでしょう。
これこそ、さき頃、御位をお譲り遊ばされ、今はゆったりと大和の秋をお探りなさろうとの、宇多上皇のご一行です。
御位をお譲り遊ばされて後の宇多上皇は、
それでも、寛平の年号が続けられている間は、まだ上皇の御代が終わって、新しい天皇の御代が開けたように思われました。上皇のお気持ちも、そうなると、一層おくつろぎなさいました。
もともと、詩をお好みの、上皇は、天皇であらせられる御頃から、一度大和方面へ御出ましになって、古い歴史の跡をたづね給い、もとの都奈良の風物におふれになりたいとのお考えでしたが、こうして御隠居の御心持ちが深くなられますと、ぜひ、前からのお考えを御実行遊ばしたいと思し召されました。
そこで、今年昌泰元年(898)の秋、是貞親王を始め奉り、お気に入りの道眞、それから詩のうまい
上皇を始め奉り、殆どすべてが。詩人か歌人です。楽しげに語っておられるのは、詩や歌の話でしょう。それでなくても心楽しい大和路の旅に、好きな詩や歌の話をしながら進み、また、美しい景色を見る毎に詩や歌を詠むというのですから、その楽しさはまた格別のようです。
奈良では、
この度は幣もとりあえず手向山 紅葉のにしき神のまにまに
という歌を詠みました。これは、
「この度は旅行中のことで、何もお供えする品の用意がございません、その代わりに、今を盛りの紅葉をおそなえいたしますから、それでお許し下さい。」
という意味です。幣というのは神様へのお供物で、大抵は布か絹で作ることになっています。そこで、紅葉のにしきと詠んだのです。
急ぐたびではありませんから、小川のせせらぎに耳を傾け、山の姿の美しさに眺め入り、ゆっくりと進まれましたが、それでも日数を重ねるうちには、大和の国の南の端ちかく、吉野の山奥にまでたどりつかれました。
吉野の
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