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第五十話
その23 筑紫への道
明石から先は、誰一人知る人もなく、初めて見る中国・九州の景色は、ただ菅公の涙をそそるばかりでした。
菅公は、流されゆく筑紫への旅路を巧みな詩で、次のように述べました。
勅使の駆けつつ、いて去りしより
父子一時に五所に離る
口言うことあたわず、眼中血走る
ふし仰ぐ、天神と地祇とに
雲はるばる
関を重ねて 警(いまし)め固く知聞断つ
一人寝辛く酸くして、夢見ること稀なり
山河遥かにして、行くがままに隔たり
風景暗然として、旅路ながら移る
平にして謫所(←たくしょ・・・罪を受けて流されている所)にいたるとも誰とともに食べん
生きて秋風に及ばば、定めて衣無からん
今の三友は一生の悲しみ
今古に異なり
解説
↓
(勅使のあわただしい往来に引き立てられてより親子は、遠い五箇所に全くはなればなれになった。
あまりの驚きに物もいえず目は血走り
ただ天を仰ぎ地にふして神に祈るばかり。
その後、筑紫までの野路山路を
東に西に引き廻されては行く手の雲のはるけさよ。
時は二月三月
まさに春の盛りの一日一日を固め厳しい関所関所を護送されて
家のたよりも聞かれずひとりねも、眠りづらくて何の夢を結ぼう。
遥かに望む行く手の山川は進むにつれて後に遠ざかり
物憂い心には、美しい景色も暗い色を帯びて映り
長い旅路を後へ後へと過ぎていく。
かような身の上で、
たとい配所(=たくしょ、罪を受けて流されている所)に着いたとしても
誰を相手に箸がとれよう。
もし秋まで命ながらえたとしても
かえりみる人もない身には着る衣もあるまい。
昔、白楽天は、琴と酒と詩とを友として
一生の楽しみとしたが、今のわが身は
この三つを友として一生を悲しむ。
昔は今と同じではなく今はまた昔と異なる。
悲しみも楽しみも、ただ心次第私には全てが悲しみの種である)
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